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改めて自己紹介

Hello,らつ姉です( ´ ▽ ` )
普段は、首都圏で貿易事務として働いております*
始めにいっておきます!貿易事務としての仕事が大好きです!貿易は奥深いのです。


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一社目では、大手貿易会社(商社)で正社員として、食品の輸入を5年、輸出を1年。
現在の二社目では、正社員として、中小企業(メーカー)で輸出を2年やっております。

大学を卒業して、一社目(商社)に貿易事務として入社しました。
同期(営業も事務も)は全員帰国子女か留学経験あり。
上司や先輩も、アメリカや中国の大学を卒業していたり、留学経験あったり。
さて私は、留学経験もなし。旅行でグアムやマレーシアに旅行した程度でした。
貿易事務なので、仕事の書類は全て英語。メールも5割くらいが英語でした。
電話で問い合わせたいのに、話せないから問い合わせることができない。もどかしい気持ちが募りました。
同期・先輩・上司は、海外生活の経験あり。第二外国語、第三外国語を話せる人もいます。
口を揃えて、「日本を出ることで視野が広がるから、海外で生活することをおすすめする」と言われました。
入社したのは23歳。海外にいきたい気持ちが、どんどん増していきました。
3年を過ぎた頃には、ワーホリと海外留学に行くことを決意。
貯金をすることと、英語の勉強することを、極秘で進めていきました。
私のストーリーは、セブ島で英語を学んだ後、シドニーへオフィスで働いて、経験を積んだ後に日本へ帰ってきてから、外資で働くことでした。
留学して2週間目で、アメーバ赤痢になり入院しました。
痛過ぎて、ずっと泣いてました。メンタルも弱まって、もう帰りたいと常に思っていました。笑
治った後は、もう一度授業に復帰してなんとか卒業出来ました。
朝から単語のテスト、スピーキング・ライティング・リーディング・リスニングを12時間くらい勉強した後は、復習と予習。
あれだけの勉強する環境があることは、幸せなことです。
40代から70代の人が参加していたのも印象的でした。
「若いころの夢を取り戻しに来ました。」というおじいちゃん。かっこよかったな。
辛かったけど、行ってよかったと思っています。機会があればまたいきたい。
オーストラリアへ渡ってしばらくすると、ロックダウンになりました。
まだ仕事もなく、友達も少なかった私には、酷なものでした。
仕事をして、生活しようと思っていた私には、貯金がありませんでした。
結局、いつロックダウンが終わるかもわからず、日本へ帰国することになりました。
ワーホリに行けたこと、短かったけれどオーストリアで生活が出来たことは、大きな財産です。
後悔が全くないわけではないけれど、納得して帰国できました。
帰国後、すぐに仕事を探しました。
運よく、転職活動をして約3週間で内定をもらえました。
貿易事務として働いていた経験を認められたことが大きかったです。本当に良かった。
ただ、早く正社員として働きたかったので、他の会社の内定を待たずに、就活をやめてしまったことは少し後悔です。笑
1社目では、輸入をしていたので経験を積むために輸出が出来る会社を探していました。
あとは、英語を使うこと。たいして英語もできないのですが。笑
この二つを満たしている今の会社は、私には貿易事務として経験を積むには満足でした。
そんな私の日常を綴っていきますね。
貿易事務はどんな仕事なのか
貿易事務にも様々な仕事がある
乙仲とも言われるフォワーダー
商社
メーカー
船会社
物流倉庫
などなど。
このブログでは、商社での輸出・輸入 メーカーでの輸出の日常をお話しします
就職してから貿易事務としての体験記を綴っていきます。
※私は専門家ではないので、間違っていことや私の会社だけでのルールもあるかもしれません。あくまでも、私の体験記を綴っていきますので、温かい目で見守っていただけますと嬉しいです。
ではでは*
本日の名言
「もし飛べないなら走ればいい。走れないのなら歩けばいい。歩けないのであれば、這っていけばいい。何があっても前に進み続けなければならなのです」 If you can't fly then run, if you can't run then walk, if you can't walk then crawl, but whatever you do, you have to keep moving forward. マーティン・ルーサー・キング I have a dream. も有名ですよね。